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インタビュー

社会福祉法人 杉和会 理事長
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地域の困っている方を何とかする、
それが社会福祉法人の役割
社会福祉法人 杉和会
理事長
若山 宏 様

緑に囲まれた自然豊かな高台に建つ「優・悠・邑 和(ゆう・ゆう・ゆう なごみ)」。
岐阜県初の盲養護老人ホームとして今年5月に開所しました。真新しい建物には、優しい木の香り、解放感のある高い天井、絶好のロケーションを一望できる大きな窓があり、ここで暮らす方々を穏やかな気持ちにしてくれます。まさに、施設の名前のとおり、和(なごみ)です。

 

今回お話を伺ったのは、当該施設を含め岐阜県内に4つの福祉施設を展開する社会福祉法人「杉和会」の理事長・若山宏様。そして同理事の水野貴子様、当施設長の吉澤進治様にもご同席いただきました。

虚弱児だった経験が学習遅滞の子どもを救いたいという情熱へ

Q.まず若山理事長のご経歴からお聞かせください。

経歴となると生まれたときからお話ししないといけないですね。今年の5月で68歳になったのですが、生まれたときは虚弱児ですぐに熱を出していました。
小学校のときは6つ上の姉がおんぶして学校へ連れてってくれるような、ひ弱で色白でガリガリで、これは中学校でも同じで、ずっとそうでした。

 

虚弱っていうことは、学校へあまり行けないものですから、勉強もできなくて。
中学1年のゴールデンウィークが終わって学校が始まるときに3週間ぐらい入院したんです。久しぶりに学校に行ったら英語の授業が何やってるかさっぱりわからなくなってしまいました。
それで英語だけじゃなく、勉強全体が嫌になったんです。

 

それでもまぁ何とかその後大学まで進みました。大学って楽しくてね。講義が楽しいんじゃないんです。それ以外のことが楽しくて。
講義はあまり受けてなかったのですが、親父が教員だったものですから、「教員になれ」って言われましてね。教員にはなったものの、25歳のとき辞職しました。
というのも当時は旧文部省の指導要綱どおりやらないと「ダメな先生」だったんです。私はそういう先生にはなりたくないと思ってたので、ほかの先生に迷惑をかけながらやっていました。それでいつまでもこのままだともっと迷惑をかけると思って辞めました。

 

辞めて家に帰って親父に報告した途端、勘当されましてね。半年間の勘当生活のあと児童養護施設を紹介されました。
私は福祉なんて何も知らなかったのですが、小中高の教員免許を持っていたので、指導員になれますよ、ということで始めたんです。最初は全然やる気がなかったので、翌年の3月には辞めるつもりでした。

 

ところが出会う子どもたちが、いわゆる家庭崩壊の子どもですから、学習遅滞児ばかりなんですね。
全国の高校進学率98%の時代に児童養護施設の高校進学率は30%ありませんでした。能力はあるけど学習遅滞ということです。親が子供の教育に認識をもっていませんから(学力を)磨いてないですから。
私は子どもたちと接してるうちにそれに気付いて、結局26歳から38歳までいました。

 

(辞めるに至ったのは、)35歳のときに研修でアメリカに行かせてもらって、アメリカの児童福祉の世界を見てかなりカルチャーショックを受けたんです。
それでアメリカの5年後が日本に来るだろうと思って、帰ってすぐ施設を辞める、という話をしたら経営者からえらい怒られましてね。「研修言ってきたばかりで辞めるなんておかしいやないか」と。
それで「私の代わりに指導できる人を育てて辞めます」と条件を付けまして。3年かかったんですけどね。

 

アメリカでカルチャーショックを受けて私が何をやりたかったかと言うと、在宅で困ってる子どもたち、親ともども困ってる子を何とかしたい、という思いです。
何らかの形で学校に行けない子たちの個別指導を日本でやりだしたんですが、食えないんです、生活できないんですよ。

 

Q.当時の日本にはそのようなものはなかったのですか?

今もないですよ。個別はないです。施設に収容というのはあるかもしれないけども、個別指導をやって(指導する人間が)生活できるような状況っていうのは今もないですね。

 

Q.アメリカはそういった状況がすでにあったんですか?

ものすごいありました。州政府とか郡政府がやってくれるのと、援助するだけでなく、いわゆる福祉の専門職の社会的認知度がものすごく高いんです。高いってことは給料もいいんです。

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インタビュー◇インタビュー◇インタビュー◇インタビュー◇インタビュー◇インタビュー
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テストテスト株式会社久宝寺太郎
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あああああああああああああああ

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錦城護謨株式会社ソーシャルイノベーション事業本部バリアフリー推進課

 

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いいいいいいいいいいいい

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「夢に向かって頑張っているあの人へ」 「応援している気持ちを伝えたい」 「ガンバレ!の気持ちを伝えたい」
株式会社AAAAAAAAAAAAAAAAAAAA ○○○○○○○部 △△△△△△△△課山田 花子

こうと決めたら絶対に曲げない香澄。
その性格とキラキラの笑顔はあなたの武器!
ずっと応援しているよ♪

 

 

周りへの感謝の気持ちを忘れずに
自分が選んだ夢に向かって頑張れ!
これからの人生が幸せで溢れますように

 

 

今まで支えてくれた人たちに感謝の心と
これからの素敵な出逢いに夢をもって!
責任のある女性になってください。

 

 

いつも元気で明るくて笑顔でテンション高いし
気づけばどこでも寝てるけど、何事にも
全力で夢に向かって頑張るまりがダイスキ。

 

 

天才と凡人はどっちも人間。
大事な事はご飯を食べて寝ること。
そして自分を最後まで信じてあげること。

 

 

あなたの「ユメ」が叶うように
「優芽」という名前をプレゼントしました。
あらためて祝福とエールを贈ります。

 

 

自分のことより他人が優先で
志し高く目標に向かって歩く愛美。
一歩一歩自分のペースで☆

 

 

お互い夢に向かって頑張るぞ!
お互いの喜びや悲しみを理解できる同志でいよう!
大好きだよ!

 

 

夢が実現する日にまた一日近づいた!
笑顔に満ち溢れた1年になりますよぉに
夢に向かってガンバレ

 

 

小さい頃から頑張り屋で一生懸命な梨乃ちゃん。
お父さんとお母さんは梨乃が大好きです。
ダンサーの夢が叶うといいね、いつも応援しています。

 

 

めぐみ先輩へ
一所懸命でまっすぐに突き進むあなたを尊敬しています
いつまでも変わらない素敵なめぐみ先輩でいてください!

 

 

今までも これからも すみちゃんらしく
そんなあなたが大好きです
ずっと隣で見守ってるよ

 

 

私達はいつもどんな時も由香の心に寄り添っているよ。
これからの人生がもっともっと幸せで溢れますように。
夢が叶うといいね。

 

 

いつも陽子の笑顔がみんなを幸せにしてくれます
今までもこれからも
陽子らしい道を選んでください

 

 

たっくんの歌に出会った時から  
いつも元気をもらっています。
ありがとうの気持ちをいっぱい込めて心を贈ります。

 

 

おいちゃん、お誕生日おめでとう!
いつも素敵な歌声を届けてくれてありがとう。
ずっと応援してるよ。

 

 

他人を思いやる優しい気持ちを大切に
素直な心と瞳で たくさんの幸せつかんでね
そして夢を叶えてください

 

 

あなたが選んだ道は険しく、穏やかではありません
だけど周りにはいつでも仲間がいます
その事を絶対に忘れてはいけません

 

 

ゆめちゃん就職おめでとう!
小さい頃から夢だった仕事に就けたね!
自分を大切にして頑張ってね!

 

 

高校生の時から人一倍頑張ってた香織。
今の香織がいるのはたくさんの仲間と
笑ったり泣いたり共有してきたからだね!

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夢に向かうなら、まず1人で始めることです。

「1人で始めるのは不安がある。心もとない」

「誰かと一緒に始めたい」

「仲間がいないと行動できない」

1人で始めるのを嫌がっているようではいけません。

本気で夢を叶えたいなら、まず1人で始めることです。

1人で計画を立て、1人で準備して、1人でアクションを起こしましょう。

1人で始めるのができないと思うなら、本気でない証拠です。

たとえ仲間と始めたところで、どのみちうまくいきません。

少しでもうまくいかないことがあると、すぐ諦めるでしょう。

本気でなければ、途中でやる気をなくし、断念するのが目に見えています。

本当に夢を実現させたいなら、1人で始めることが大切です。

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長野県松本盲学校 校長の写真
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「夢」を描ける盲学校を目指して
長野県松本盲学校 校長矢野口 仁 様
将来的に自立して社会参加をして頂くために、出発点を丁寧に聞き取る

Q,盲学校について教えてください。

盲学校とは、視覚障害がある方々のために設立、運営されている学校です。
一番目の目的は、その方々に障害があっても将来的に自立して社会参加をして頂くために、私共がお力添えをさせていただくことでございます。
クラスは、大きく分けて2種類ございます。一つは「単一障害学級(視覚障害のみ)」【適切な器具や学習方法を工夫することで小中学校、あるいは高校に準ずる教育を行う学級】。もう一つは「重複障害学級(視覚障害に加え聴覚障害や知的障害等の複数の障害がある)」【障害の状況に合わせた特別な教育課程で教育を行う学級】です。

 

学級の所属は、一人ひとりに対して、どのような障害の状況でいらっしゃるのか、また、何を目指していきたいのか等について、ご本人や家族のお気持ちや意思を丁寧に聞かせて頂いて、出発点を聞き取っております。諸検査も丁寧にするように努めています。見え方は百人百様あるものですので。
見えにくさの実態やご希望に合わせて、どういう教育を組んだらいいのかを、できるだけお一人お一人に合わせて考えるようにしております。

 

また、盲学校はどこも人数が少ない学校なのですが、その一方で知的障害や肢体不自由のお子さんたちの割合が増えている現状があります。また、複数の障害があるお子さんも増えているため、学校を再編成するときに盲学校とほかの障害種の学校を同じ敷地に建てていこうとする流れが全国的に広がっています。
その際、私どもとしては、他の障害種の方々と混合するのではなく、盲学校の場所と先生方は用意していただいて、その代わり、交流をうんとやりましょう、というコンセプトでお願いをしております。
体育の授業を例に挙げますと、それぞれに一番適した種目というものがあって、両方を同じ空間で同じメンバーでというのは難しいんですね。なので、それぞれに適した環境を用意して授業は別々で行いますが、その代わり、音楽など一緒にできるものは一緒にやりましょう、と言ったフレキシブルなものですね。

「夢を持つことに積極的になろう」「みんなで力を合わせよう」

Q.学校を運営していくにあたって心に留めていることはありますか?

一言でいうと、視覚障害のある方にとっての最善の学校になっていく、と言うことに尽きますね。そのための手立てといいますが、キーワードが「夢」だと自分は思っています。「夢」を描くことができるのも一つの能力ですし、先生たちも幼児児童生徒たちも、保護者の皆さんも、学校という場で「夢」を描いて、それに向かっていく楽しさをみんなで共有して、その過程で学んでいくということがすごくいいことなんだろうな、と思っています。
今小中学校ではコミュニティスクール化という動きがあって、地域の皆さんと共に良くなっていきましょうという考え方で動こうとしているんですけれど、視覚障害者や視覚障害者を支援してくださる方々をある意味「地域」と考えて、そういう方々と私たち盲学校で共に手を携えてより良い最善の学校を目指していきたいなと思っています。
校長講話では「夢を持つということに積極的になろう」とか「それを追い求める時に皆で力を合わせよう」とか、「本人が頑張っていることは、周りの人にもすごく励みになる」、「あなたは自分のために頑張るんだけれど、あなたが頑張ってくれることは周りの人にも幸せをもたらしてくれる」、「うんといいことをしているのだから頑張ってね」っていう話を繰り返しさせて頂いています。

「私たちも応援するよ!」と本人に伝えることが大切。

Q.夢を描くとのお話がありましたが、エピソードがあれば教えてください。

地元の小学校に通っていたけれど、中学から当校に来られた生徒さんがいらっしゃいました。難しい事情があったのでしょうね。モチベーションが上がらなかったんです。でも、根本にはお友達が大好きで、地元でまた何とか頑張りたいと思っていたのでしょう。その子は、「高校に進学したい」とお話しされたんですね。本校の高等部ではなく、地元の普通科の高校です。

 

視覚障害のある方が普通科の高校で勉強されるというのは中々難しいんですけれども、それを実現するためにみんなで何ができるか、ということを教員で話し合って、授業をし、受験対策もし、地元の中学校さんに協力をお願いして中学校でやる試験を一緒に受けさせて頂いたりしました。試験結果を高校の方にお知らせして、「こういう風にしていくと高校の授業についていけるのですが、何とかお願いできますか」と、進学の基盤を作らせていただきました。

 

一番はやはり「私たちも応援するよ!」ということを本人に伝えることで、本人の受験に向けてのモチベーションが上がるよう努めることも大切かと。幸い本人のやる気も高かったので、合格することができました。入学した高校の最初の定期考査で、上位に入ったとお聞きしまして、とても嬉しかったですね。

盲学校を積極的に選択していただけるような学校へ

Q.100回目の卒業式を迎えていかがですか?

100回続いたことの意義はすごく大きいなと思いますね。

 

松本盲学校も山あり谷ありで、かつて在籍者が100名を超えた昭和40年代前半のような時もあれば、10年前のように小学部の子どもさんが0人という時もあったんです。

 

学校はあるのだけれど、該当する子どもさんたちに来てもらえないという時代がありました。似たようなことがきっと過去にもあったとは思うんですけど、それでも卒業生が途絶えること亡く100年続いてきたという事は、みんなが盲学校を続けるんだという関係者の強い意思があったからだと思うんですね。

 

なので、自分もこれから将来に向っては200回まで続くような盲学校にしていかなきゃいけないな、と思っています。

 

昔はですね、目の悪い方は盲学校に行きなさい、という世界だったんですね。中には嫌々来なきゃいけない方もいらしたわけですけど、今は基本的に「どこに行きたいです。」とご本人と保護者さんが意思表明をされると、それが尊重されるシステムに代わりましたので、かなりの数が小中学校にいらっしゃるんです。
そういう方々にも「盲学校に行った方が自分の力が伸びるわ。」「いい人生が切り開けるかもしれないわ。」「地元はこっちだけど、学ぶ場はこっちの方に僕は行きます。」というような気持ちで積極的に選択していただけるような盲学校にしていきたいと思います。

 

盲学校側も子どもさんが来るのを待つだけでなく、「生徒さん来てくれないかな~!!」という気持ちをもって、そのために自分たちがどうなって行けば結果が出せるのか、と考えていくことも楽しいですよね。そういう考えを教員一人一人が持ちながらやってくれると、すごく魅力的な教師集団になったり、学校になっていくと思うんですけど、そこを目指していくために「選ばれる盲学校」というコンセプトを持ちたいですね。

「打って出る盲学校」をモットーに

Q.全国盲学校校長会の会長としての思いを教えてください。

まず、全国盲学校長会っていうのは、盲学校の校長同士の研修の組織なんですね。

盲学校の教員上がりの人が校長に必ずしもなれるというわけではなくて、小中学校の校長とか高校の校長から盲学校の校長になるパターンが少なくないんですね。

だけれども、盲学校に勤めていく職員の中にはもう何十年もその学校に勤めているという人もいて、職員の方が詳しいんですよ。その中で学校を経営していくには、校長が短期間で「盲学校とは何か」をうんと学ばなくてはいけないんですね。そのための情報提供をしたり、相互に質問して回答したりしていくのが全盲長会です。

活動についてですが、「打って出る盲学校」をキャッチフレーズにして活動しおります。

自分たちがやっている教育実践をどんどん発信して、「皆さんに来ていただいて必ず満足いただける学校でありますよー!」と知っていただく努力をする活動を全国各地でやろうとしています。先ほどの話にも繋がるんですけど、本当に自分の意思で選択してここに来てもらえるような、「選んで頂けるような盲学校」になって、子どもさんたちも増えてますますにぎやかになるような、そんな盲学校にしたいなと思っています。

錦城護謨さんからこのようなご縁を頂いて、私たちも学校としてお付き合いを頂いているわけですが、この流れっていうのは全国盲学校長会の流れでもあるんです。

前会長も積極的に校外の力を取り入れて、「子どもさんたちにとって少しでも良くなるものがあったらどんどん提携の輪を広げていこう」という考えをお持ちでした。
今の自分の考えは、まさにこの校長会があればこそだと思っています。

錦城護謨さんとのご縁を頂き、誘導マットを使わせて頂いて、「視覚障害のある方々のために商品開発をしてくれて、普及のために全国を回ってくださる方がいるんだよ。盲学校を応援してくれている人がいるんだよ。」ってことを、自分はマスコミ等通じて健常な方や視覚障害のある方に発信をしているつもりなんです。こうやってみんなで何とかいい社会を作っていこうとしてくれるので、盲学校も頑張るから、皆さんもまた一緒にやっていきましょう、と思いながらやらせて頂いております。

基本的に障害のある方に優しい社会は、誰に対しても優しい社会

Q.現状のバリアフリーで感じることは何かありますか?

国を含めて全体的な流れとしては、「障害があっても世の中で暮らしていけるようにしていきましょう」という良い方向に向かっていると感じていますが、障害のある方、例えば視覚障害のある方が安心して外に出られるように頑張ってくださるものがさらに続いて、さらに力強く推進していってほしいなぁ、と言うのが今の思いです。

「もっともっとやって欲しい」といいますか、障害のある方に配慮のある社会・施設設備とかですね。出来てみると、誰にとってもいいんですよ。表示にしても段差にしても。

安全や安心、過ごしやすさのためにコストは掛かるんだけど、そのことを補っても余るくらいの安心感はきっと確保されてくると思うんです。今、社会を挙げて点字ブロックや転落防止のホームドアとかが整備されつつありますが、あれも日本中の人が安心して生きる世の中に繋がっていくはずだと思います。各自が調子悪くなった時にてき面に感じますけど、基本的に障害のある方に優しい社会は、誰に対しても優しい社会なので、やっていって間違いないと思います。

ぶつかることではなく、怖さを感じることについてもう少し配慮していただければ

Q.みなさんへお願いしたいことはありますか?

ほんとに小さな例なんですけど、自転車なんですよね。

自転車って音もなくひゅーって、突然通り過ぎていくので、視覚障害のある方々からするとすごく怖いんですって。そこがですね…。

地域的なものかもしれないんですが、歩道を通られる自転車が多くて、上手によけてくださる方がほとんどなのでぶつかることもあまりないんですが。やっぱりね。怖い。っていうのはありますね。それから、白杖を持って歩かれる方が右側通行をしていても、後ろから抜かれていくことがありまして、ぶつかるということではなくて怖さを感じることについて健常な方がもう少し配慮していただければありがたいなぁ。と。

これは、視覚障がいの方だけじゃないと思うんですよね。恐怖感と言いますか。

それってすごく気持ちの中に占めるウェイトが大きくて、それが大きくなりすぎると外に出られなくなっちゃたりとかいうのもあるんです。

盲学校が視覚障害の方たちの社会を繋いでいく役割になれれば

Q.最後に、盲学校が担う役割は何だと思いますか?

一つエピソードを交えてお話しさせて頂きますと、生徒に何か目標が見えなくて、真面目だけで今まで来ているお子さんがいたんですね。そのお子さんに「パラリンピックを目指してみないか」とすごいテーマを持ち掛けた先生がいるんです。本人は「えー!」って言いながらも引き込まれていくんですね。今では本気で狙っているんですよ。

普通の学校と違って、盲学校ってすぐ全国大会なんですよね。そこから世界にチャレンジしようと思えば、応援してくださる組織とかシステムがあるので、あとは子どもたちに「やってみない?」ってその気にさせる人がいるかどうかですよね。

そういう何か「夢」を与えて、本気にさせちゃう教員って、自分の職場に居ながらすごいと思うんですね。
また、そういう方が複数いるんです。地方の小さな盲学校であっても、「夢」を描くことにおいて大都市の大きな盲学校には負けないという思いでいられるのは、そういう先生方のおかげですよね。

何とか障害のある方の力になってあげたいと思ってくださる方が結構いらっしゃる。障害のある方も現状に満足しているわけじゃなくて、「何かやりたい」とは思っている。ここがなかなかうまく結びついていない、っていうのが一つ今の課題かなと思いますね。

国の方でも特別支援学校が一つの活動の場所となって在校生や卒業生が日常的にスポーツが楽しめる場所になって行ったらいいね、というような構想を持っています。松本盲学校も出来ればそんな場所になって、在校生や地域の小中学校生、視覚障害のある方が遊びに来て、できるスポーツをしてひと汗かいて帰っていけるようにしたいなと思っているところです。
また、視覚障害がある方自身が先生として勤務されているので、将来ああいう風に生きていきたいな、という一つのロールモデルが校内にあることは盲学校の強みでもあると思います。視覚障害になられて辛い思いをされている生徒さんが、先生との出会いによって人生を取り戻した、っていうような経験を積まれると、今度は自分が次から上がってくる皆さんを安心して暮らせるように接してあげようと思ってくださるいい環境が生まれることになると思いますね。

盲学校には視覚障害のある方たちを社会に繋いでいくというような役割もひょっとしたらあるかもしれませんね。

 

取材日:2017年4月13日

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特定非営利活動法人 視覚障害者パソコンアシストネットワーク(通称SPAN) 理事長 様の写真
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ICT活用の強力バックアップで
視覚障害者の就労に光を灯す
特定非営利活動法人 視覚障害者パソコンアシストネットワーク(通称SPAN) 理事長北神 あきら 様

今では一般企業で働く視覚障害者の数も少しずつ増えてきました。要因として最も大きいのがパソコンです。見えにくい人は画面の拡大や白黒反転をして、また見えない人はスクリーンリーダー(音声読み上げソフト)を駆使して仕事ができるようになりました。

 

長年にわたって、社会にこうした土壌を築き上げてきた中心的存在とも言えるのが、特定非営利活動法人 視覚障害者パソコンアシストネットワークSPAN(以下、SPANと称する)です。

 

SPAN設立から将来のことまで、理事長の北神あきら様にじっくりお話を伺いました。

設立の経緯と事業内容

Q.どのような経緯でSPANを立ち上げられたのでしょうか?

設立は1999年、今年で22年目です。私は設立段階からいたわけではなくて、最初は別の視覚障害の方と賛同者が中心になって始められました。当時は視覚障害者がパソコンを学ぶ場がとても少なかったので、それを作ろうと立ち上げたのがSPANです。私は出来上がりかけたぐらいから参加した感じです。

 

Q.活動の歴史や主な事業内容について教えてください。

設立からしばらくしてパソコンの指導者養成講座を行いました。これは経済産業省系列の財団から委託されたもので、北海道から沖縄まで40数回実施しました。このときに全国のいろんな団体とネットワークができたのは良い経験です。

 

そうした経験を経て、東日本大震災のあとの2012年ぐらいから就労支援に力を入れるようになりました。2013年からは東京しごと財団の在職者訓練を受託、2019年からはジョブコーチの支援も開始。これらは現在も継続しています。

 

Q.在職者訓練とジョブコーチの違いについて教えていただけますか?

在職者訓練が職業訓練なのに対し、ジョブコーチはどちらかと言うと職場に出向いて支援するのが主体になります。たとえば弱視の人だとオフィスの照明によって見やすさが変わったりするのでその調整をしてもらったり、デスクを入り口からアクセスしやすい場所に変えてもらうなど、職場環境を含めての支援ですね。他にも仕事の切り出しなんかも提案しています。上司の方にヒアリングをして、この仕事なら音声で作業ができるのではないでしょうか?といった感じに。ですので、職業訓練とジョブコーチは車の両輪かなと思っています。

 

Q.職業訓練は当事者のスキルアップ、ジョブコーチは働く環境づくりの支援という側面があるんですね。

ジョブコーチは当事者の方もそうですが、職場の上司や同僚の方、あるいは人事関係の方に提案や相談をします。完全に中立なんです。一方的に障害者に合わせてください、ではなくて、障害者も会社も互いに妥協点を探りながら落としどころを見つけていきます。だから企業の方には必ず最初にお話します。「あくまで中立です。同じ距離で支援しますよ」と。

 

Q.幅広い活動をされているんですね。他にはどうでしょうか?

あとは有料の講習をしたり、去年からは無償の遠隔サポートもしています。職業訓練の仕組みは、以前よりよくなってはいるものの、まだまだ支援を受けられない人が多いんです。地理的な面や制度的な面でのハードル、さらにはそれらをクリアしても職場の協力が得られないケースもあります。在職者訓練はウィークデーに行うので、勤務時間内での受講を職場に承認してもらわなければなりません。それをダメと言われるとスキルアップも難しくなります。

 

そうした方のために寄付金を募集して、ひとり10時間までで10名の方に無償遠隔支援をしました。現在も来年に向けて寄付を募集しており、おそらく目標額には到達しそうな状況なので、少なくともこれまでと同じレベルでは支援ができそうです。

 

Q.無償支援があっても有料講習を希望される方もおられますか?

無償の遠隔サポートは10時間の制限があります。特定の困りごとを解決することはできても、それだけでグンとスキルアップする、というところまではいきません。やはりまとまった時間でじっくり講習を受けていただくのとは違います。

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NPO法人ヘレンケラー自立支援センターすまいる 事務局長 様の写真
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盲ろう者の仲間とともに心から笑顔 になれる場所
NPO法人ヘレンケラー自立支援センターすまいる 事務局長石塚 由美子 様

聞こえない聞こえにくい、見えない見えにくい。それらが組み合わさった重複障害の方々を盲ろう者と言います。ヘレンケラーの伝記を読んだことがある人は多くても、今私たちと同じこの社会で暮らしている盲ろうの方々について正しく知っている人はどれだけいるでしょうか。

 

大阪・鶴橋駅近くの盲ろう者が集う場所、NPO法人ヘレンケラー自立支援センターすまいる。ここではさまざまな活動を通じて、盲ろう者が生き生きと暮らせるよう支援されています。

 

事務局長で聴覚障害当事者でもある石塚由美子様にお話を伺いました。少しでも理解を深めていただけるきっかけになれば幸いです。
(石塚さんは視覚に障害はないため盲ろう者ではありません)

「すまいる」ってこんなところ

Q.現在すまいるには何名ぐらいの盲ろうの方が通われていますか?

登録者としては17名です。(2022年4月時点)
他にろう者もおられます。また盲ろう者はひとりで移動するのが困難なので、通訳介助者と一緒に来られています。ですので同じ数だけ通訳介助者もいることになります。あと職員が固定で11名、ボランティアもいるので、だいたい毎日35名ぐらいは集まっていると思います。

 

ただ通訳介助者は、利用者がすまいるで活動している間の給料は支払われません。すまいるは就労継続支援B型事業所なので行政から補助金をいただいています。そのためB型で作業中の利用者に、通訳介助者としてサポートすると制度の二重使いになります。とは言え、作業中も盲ろう者への情報提供は必要なため、ボランティアという形で無給でお世話をしていただいてます。ほんとうに皆さんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。

手話を使って丁寧に受け答えしてくださる石塚さん

 

Q.利用者さんはB型事業所の作業をされている方ばかりですか?

そうです。企業の方から内職をいただいて皆さん作業をされています。それが活動の中心なのですが、仕事だけでなく情報提供にも重きを置いています。月に1回、時間を設けて社会で起きているニュースなどをお伝えしています。その間は仕事はいったんお休みです。

 

盲ろう者同士での意見交換も大事なので会議も行います。盲ろう者が中心となっていろんな企画を考えてみんなで一緒に楽しむ行事をつくるとか。あとはパソコンを学ぶ時間もありますし、幅広い活動をしています。ほかにはヨガ、空手、タップダンスなどのクラブ活動もやっていて、皆さんの健康増進をかねたリクリエーションにも力を入れています。

「すまいる」には仲間がいる

Q.すまいるにご相談される方はどのようなお困りごとを抱えていますか?

一番はやっぱり生活に関する困りごとですね。盲ろう者はご家族と暮らしている方が多いですが、将来はひとりになってしまう。「どうすればよいか」「不安が大きい」などです。そのために盲ろう者向けのグループホームを5年前に立ち上げました。

 

あと、盲ろう者は家に引きこもっている方が多いので、ご家族からお問合せをいただくこともあります。ほかには通訳介助者からも相談をいただいたりします。

 


Q.相談された方がその後すまいるを利用するようになって変化はありますか?

もう、それはすごくあります。役所で知ってここに来られたりするのですが、最初はほんとうに暗いんです。自分は何もできないんだ、と悲観的に捉えておられて。触手話もすまいるで初めて経験される方が多いので、これで会話ができることにまず驚かれます。

 

私が「ここには他にも盲ろうの方がたくさんいますよ」と言っても最初は信じてくれない人もいるんです。どうしてなのか、後でわかったのですが、「こんな障害を持っているのは自分だけだ」「可哀そうだから同情して他にもいると言っているんだ」そう思っている人が非常に多いです。

 

でも実際に同じ障害を持つ盲ろうの方と交流を深めていくうちに、「自分だけじゃなかったんだ」「同じような障害を持つ仲間がいる」「聞こえなくなったり、見えなくなった経緯や生い立ちも似ている」そう気付いて、そこから変わっていかれます。

 

ご家族や役所の方から、点字を覚えたほうが良いとか白杖を使ったほうが良い、といったアドバイスを受けても自分はできないと思い込んでいる人も多いです。それが同じろうベース(元々耳が聞こえなくて、後から目が見えなくなった人)の盲ろう者が点字で本を読んでいる、なかにはパソコンを使っている人もいる、と知って火がつくようです。自分も覚えたいと言って勉強を始められます。

 

だから仲間の存在はすごく大きいです。仲間がいるから切磋琢磨できますし、仲間の助けがあるから頑張れるんだと思います。

通訳の方を交えて話が展開していくインタビュー風景

コミュニケーションはいろいろ

Q.コミュニケーションの手段にはどのような方法がありますか?

元々ろうの方は手話を身に付けておられます。その後見えなくなった場合、手話に触れてコミュニケーションを取る「触手話(しょくしゅわ)」を主に使われています。元々盲の方で聞こえなくなった場合は、点字を指に打つ「指点字」があります。ただこれを使用されている方は非常に少ないです。あと、難聴者の方はマイクを使って音声でコミュニケーションされたり、手のひら書きというとても簡単な方法や、指文字に触れる方法もありますし、視力が残っている方であれば接近手話を使われたりしています。ほんとうに人によってさまざまですね。

 

最近は背中に書く「サイン」を使われることもあります。情景を伝えることが多いのですが、人が話をしているのをみんな聴いているとか、拍手をしている、誰が入ってきたというのを合図するんです。

素早い手の動きで真摯にお話してくださる石塚さん

 


Q.コロナ禍で生まれた新たなコミュニケーション方法はありますか?

難しいですね。コミュニケーション方法は変わりません。盲ろう者の場合、離れてしまうとコミュニケーションができないんです。触れる、というのが基本ですから。なのでお互い感染対策に気を付けて、ということになりますね。

 

ただ、最近パソコンを覚えられた盲ろうの方がいて、メールでやり取りをしたり、情報もご自分で入手されたりしています。コロナになってから自分もパソコンを覚えたい、という方が増えましたね。

もっと盲ろう者向けの施設を

Q.では今後について伺います。直近で何か計画されていることはありますか?

本来であれば、すまいるの創立記念イベントをやりたいですし、触って楽しめる旅行なども計画したいと考えています。2年後が25周年なのですが、このような状況下ですので難しいかもしれません。でもコロナで何もできないとなると、皆さん落ち込まれますし、どうしようか迷っているところです。

 

すまいるには和太鼓クラブがあるのですがそれも今は活動できていません。和太鼓って体に響いて盲ろうの方にもわかりやすいんです。ですが音の問題があるので街中ではなかなかできなくて。練習場所が少し離れていて公共交通機関を使うのですが、それも今ははばかられますし……。代わりになる他の何かないかなぁと探しているところです。

 


Q.最後に、将来のすまいるとしての目標とか夢などがあればお聞かせください。

もっと盲ろうの方に集まっていただいて、施設的にも大きくできればと思っています。それと先ほど申し上げたグループホーム。今の定員が10名なので、2号棟3号棟と建てられたらいいなぁと思っています。

 

現在盲ろう者は全国に14,000人いると言われています。でも盲ろう者向けの施設というのは他にはないんです。今のところすまいるだけで。他の地域の方は、聞こえる方と一緒になるか、ろう者の施設に入るぐらいしかないので、盲ろう者向けの施設をもっと作っていきたい、という想いがあります。

 

※今回の取材には通訳者の山塚様にご協力いただきました。
こちらのまとまりのない質問を適格に手話で伝えてくださるその技術の高さに感心しきりでした。

阿吽の呼吸で通じ合う石塚さんと通訳の山塚さん

取材日:2022年4月12日

 


NPO法人ヘレンケラー自立支援センターすまいる様HP
http://db-smile.jp/index.html

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